なんで京大に受かったのかと聞かれたことがある.失礼な話だが,それは私もちょっと気になる.
私は高校時代,よく先生から「猛勉強して志望校に合格したサクセスストーリー」を聞かされていた.睡眠時間や食事,風呂の時間を切り詰めて朝から晩まで1日10時間勉強したとか,そういう話だ.
でも,私自身は特に猛勉強はしなかった.勉強時間は平均して1日3時間くらいだと思う.学習塾も行かず,受験テクニックも学ばず,もくもくと過去問を周回し続けていただけだった.それでも合格できた.
思い出しながら,何が良かったのか,逆に何は悪かったのか考えていきたいと思う.
悪かった点
合格体験記にはよくない側面がある.受かった人がやったことが,なんでも効果的だったように見えてしまうことだ.でも実際にはもちろんそんなことはない.
👎スマホを持たなかった
後で紹介する「我慢しなくて済むようにする」の一環として,ネットサーフィンを我慢できる自信がなかったので私はスマホを持たないことにした.確かにネットサーフィンの時間は減ったと思うけれど,代償が大きすぎたのでよくなかったと思う.人間関係に制約がつくし,単純にかなり不便になる.
スマホが勉強の邪魔になるのは確かなので,対策を考える必要はあると思うが,持たないのはやりすぎ.
👎全部の教科に全力で取り組む
後で紹介する「おもしろさを理解する」を,私はすべての教科に対してまじめに行った.しかし,これはやりすぎだった.
そもそも人間には適性がある.私は数学が特別よくできるわけではないけれど,数学が好きだし,その感情は特別なものだ.中学生のころ,どうしても数学が勉強したかったので姉貴の部屋から高校の数学の教科書を借りてきて読んでいたことがある.他の教科の教科書は借りていない.なぜかといえば,もちろん,数学が特別に好きだったからだ.
何かに対する特別な思い,強い情熱があるなら,それに集中すべきだと私は思う.あれもこれもと手を広げてはいけない.情熱はコピーできない.複数の分野に精通できるほど学問は甘くないし,仮に精通できたとしてもずっとその分野でやってきた人には勝てない.
興味が移り変わって結果的に複数分野に詳しくなることは仕方ないけれど,その場合でも自分の中でそれらを「つなげる」工夫をするべきだと思う.「誰がなんと言おうと俺はこれをやるんだ」というしっかりとしたアイデンティティがあれば,疲れ果ててしまったとき,すべてが空しく思えるときでも支えにすることができる.専門分野が無関係な複数の分野に渡っていたら,自信をもって次の行動を決めることができなくなる.
👎1人でもくもくと頑張る
中学生から高校生にかけて,私の周りには信頼できる相談相手がいなかったし,同じ志を持つ同世代のひともいなかった.学校の先生たちは数学をろくに理解していなかったし,クラスメイトの中に私と同じくらいの熱量で数学を志望している人はいなかった.だから結果的に「人の話を聞かずに黙々と頑張る」というスタイルが高校で確立されてしまった.仕方なかったとはいえ,一般的にはこれはあまりよくない方法だと思う.
私は高校時代に大学数学を独学しようとして本を買ったことが何度もあるけれど,大学に進学した後に当時自分がいかに良くない本を買っていたかがわかって愕然としたことがある.情報を入れずに1人で勉強していると,人は簡単に道を踏み外して明後日の方向に行ってしまう.
受験に関しては,やるべきことが固定されていて,後述するように「ひたすら過去問を周回すればよい」ので独学でも問題がなかったのだろう.しかしできることの自由度が広い場合は,そうはいかない.
良かった点
👍毎日こつこつ頑張った
私は,高校受験に失敗したあたりから「今後は受験で後悔することが無いようにしよう」と思い,大学受験に向けての勉強を始めた.これはかなり良かったと思う.どかっと集中してやるのではなくて毎日コツコツと続けるのは私の性にも合っていたし,大学受験という目標の性質にもよく合致していた.大量の語句と出題パターンを記憶する必要があるのだから,焦らずに進められる時間を取るべきだ.
継続は力なりという諺があるけれど,まったくその通りだと思う.逆に,継続以外の何が我々の力になってくれるというのか.(反語)才能などというものは,直接観測もできず干渉もできないという点で幽霊と同じだ.才能のことは考えないほうがいい.
院試のときも,やはり私はかなり前からコツコツと準備をした.院試に関しては教官から「あんなものは勉強せずに受かるものだ」と嫌味を言われて悲しかったが,たとえそれを真に受けて落ちても教官は責任を取ってくれないだろうということを考えると,やはりコツコツやって良かったと思う.
👍過去問を周回した
入試対策で最も重要なことは過去問周回だというのが私の持論である.
誰もがある程度同意することだと思うけれど,私の場合は特にそうだったかもしれない.赤本を用意して,過去問をひたすら周回した.
私は「過去問を周回したけどダメだった」という人を個人的に知っているし,ネット上でも見かけたことがある.だから上手くいかない場合もあると思うけど,基本的に過去問に挑戦できる実力がつき次第,過去問の周回は始めていくべきだと思う.個々の問題の結果に一喜一憂することなく,黙々とやるのが良い.こういう繰り返し作業というのは,黙々とやっているとそのうち楽しくなってくる.
院試のときも,私はやはり過去問を周回したし,それが一番効果があったと感じている.
👍我慢しなくて済むようにする
私は受験期間中,基本的に「我慢しなくて済むようにする」を方針にしていた.
たとえば,ゲームがやりたくなったら思い切って一日中ゲームをしてしまう.飽きて嫌になり,自己嫌悪が発生するまでやり続ける.そしてその日の深夜にセーブデータを消して,ゲーム機を押し入れの奥など取り出すのが面倒なところにしまってしまう.
私の経験上,どんなに楽しいゲームでも途中まで進めてセーブデータを消すのを繰り返すと完全に嫌になる.もはや勉強の方がマシなので,自然と勉強に戻りたくなるという寸法である.
普通に我慢すれば良いと思うかもしれないが,そうすると勉強の間中ずっとうっすら我慢していなければならない.かなり集中力を削がれる上に,「こんなに我慢したから私は頑張っている!」という不適切な考えに至ってしまう.衝動を我慢することは成績向上に直接寄与しないので,やらずに済むならその方が良い.
上記の方法はゲームだからできる話で,たとえば音楽だとこうはいかない.私には好きな音楽が数百曲あり,それをすべて繰り返し聞いても,飽きるまでには数年かかってしまう.だから私は,勉強しながら音楽が聴けるようにしていた.インスト(楽器の音のみの音楽)の曲は勉強中に流しても集中力の低下がマシなので,それで特に問題はなかった.
注意として,「我慢しなくて済むようにする」であって,「我慢をしない」わけではない.我慢をしないと,目先の小さい目標を達成することにすべての時間を費やしてしまい,大きな目標は達成できなくなる.我慢をしない状態が理想というだけで,現実は往々にして異なる.
👍おもしろさを理解する
同じ勉強するのでも,おもしろいと思って勉強するのと入試のためと思ってやるのではモチベーションが違う.単位勉強時間当たりの効果も上がるし,一日の総勉強時間も無理なく増やせるようになる.だから私は学問のおもしろさを理解することを勉強の際の目標にした.
具体的には,「易しい」本を避けて,本格的な本を読むようにしていた.なぜかというと,「易しい」本は情報量が少ないからだ.情報量が少ない本は,重要なことしか書かれていないから内容をわけもわからず暗記してテストを一夜漬けで乗り切るには便利だけど,きちんと理解するには情報が足りな過ぎる.
正しい理解には,膨大な情報を必要とすることが多い.それは我々が文句を言ってなんとかなることではなく,仕方がないことだ.だから,おとなしく本格的な本を読み,膨大な情報を頭に叩き込むようにしていた.
時には大学レベルの本も買ってきて読んだ.大学レベルの本には高校にあるような「出題されないことは書いてはいけない」という恣意的な制約がないので,より学問としての内容がよく理解できる.