パンの木を植えて

主として数学の話をするブログ

中学校の思い出【ひどい国語の先生編】

\[ %%% 黒板太字 %%% \newcommand{\A}{\mathbb{A}} %アフィン空間 \newcommand{\C}{\mathbb{C}} %複素数 \newcommand{\F}{\mathbb{F}} %有限体 \newcommand{\N}{\mathbb{N}} %自然数 \newcommand{\Q}{\mathbb{Q}} %有理数 \newcommand{\R}{\mathbb{R}} %実数 \newcommand{\Z}{\mathbb{Z}} %整数 %%% 2項演算 %%% \newcommand{\f}[2]{ \frac{#1}{#2} } \]

私が通っていた中学校に,ひどい先生がいた.仮に Y とする.

Y は国語を教えていたのだけど,授業でやることといえば教科書を棒読みすることだけ.教える工夫は一切感じられず,Yの授業を聞くよりも自分で教科書や参考書を読んだ方がずっと効率的だった.

ある時,Yが「授業中に発言したらシールをあげよう.50枚集めたら景品をあげる」と発言した.景品の内容は秘密だという.

私はくだらないと思った.

シールでこどもを釣るのが効果を上げるのはせいぜい小学生までだろう.シール集めに達成感を感じる中学生なんていない.仮にいたとして,景品が何かわからないのに頑張ろうという気にはならない.さらに景品が素晴らしいものだったとして,50枚は多すぎる.1学期中に50枚も集めるには,相当な努力が必要だ.せめて20枚ならまだ挑戦しやすい.

しかし私にとって授業中に発言するのは簡単なことだったので,私はそれを50枚集めた.50枚というのは1学期に集めなければならない量としてはかなり多かったので,これは相当頑張ったといえる.景品は楽しみではなかったし私はYがとても嫌いだったけど,発言するのは苦ではなかったのでついでに集めた.

50枚集めたから景品をくださいと私が言うと,Yは驚いていたようだった.「え?」と言っていたように思う.

「景品はない」と言われた.Yは困惑したような顔をしていて,その辺にあったどうでもいい文房具を「これあげる」といってよこした.困惑しているのはこっちなのだが….さすがに「こんなものは要らない」といって突き返した.

Yはしばらく茫然とした様子で教壇に突っ立っていて,私が「ごめんなさいは?」と言うまで謝ろうともしなかった.この時ほど謝罪の気持ちが全く感じられない「ごめんなさい」を聞いたことはない.謝った後も,「なんで私がこんな目に遭うの」とでも言いたげな顔をしていた.被害者はこちらだし悪いのは100パーセント向こうなのに,どうしてそんな顔ができるのかわからなかった.最低だなと思った.


その後は卒業するまで何もなかった.しかし,今でも私はYの心理が気になる.

景品を用意してもいないのにシールを集めさせて,毎日どんな気持ちで私や他の皆のシール表にシールを貼っていたのか.ちらとでも良心が咎めなかったのか.

Yはきっと50枚集めるやつなんていないからバレないと思ったのだろうが,それなら私が45枚集めたあたりで危機感を持つべきではなかったのか.なぜスルーしていつものように出勤してしまったのか.ゾンビのように機械的に仕事をしているのか.

そして,どうせ景品は必要にならないと見ていたということは,シールを集めさせるというキャンペーンは大して有効ではないとわかっていたということだが,それならなぜ実施したのか.先生ごっこでもしてたのか.それならせめて先生らしく謝るべきではなかったのか.


私は,学校というのは理不尽な場所だと思った.普段偉そうにしているくせに,工夫のない投げやりな授業をし,こども騙しの方法で生徒を釣ろうとし,しかもそれが詐欺だったなんて夢を壊すなんてレベルではない.私は一度も教員になりたいと思ったことがないし人にも勧めないが,この一件はその理由のひとつだ.Y のような人間の屑は,同僚にいるだけでも許しがたい.

ひとつ心残りなことがある.Yがいかにクソであったかについて,当時友達と話をしなかったことだ.Yは皆の前で上記の詐欺現行犯をはたらいたから,クラスにいた全員が認知しているはずだ.当時の私は腹が立ち過ぎてそこまで頭が回らなかったが,ぜひ他の人の意見を聞いておきたかったと今になって思う.きっと楽しかったに違いない.今ここでYの実名を晒したところで何も楽しくない.物事には適切なタイミングがあって,うっかりそれを逃すことはとても多い.