世間的に,数学科は就職に不利だという認識があるように思います.
私がこのブログで再三書いているように,実際には学部新卒なら数学科が就活で不利ということはありません.むしろ有利なようです.
しかし,私は「実際には就活で有利ですよ」と言うことが虚しいように感じられてなりません.私の周囲を見渡すと,特に探さなくても数学科卒の人たちが「十分な収入がない」「満足な職が得られない」と苦悩している痛ましい姿が目に入ります.私自身も,転職するまではそう思っていました.
個人の責任にするには数が多すぎるので,何かしらそうさせる仕組みがあるように思えます.いったい何が,数学科卒の人の就職を阻んでいるのでしょうか.
原因について
研究者を目指す道のりの過酷さ
数学の研究者になるためのキャリアの流れは以下の通りです:
まず学部を卒業します.通常は4年間かかります.
院試を経て修士に進学します.修士は通常2年間です.
修士を卒業したら,博士後期課程に進学します.これは通常3年間ですが,4~5年間に伸びてしまうこともよくあります.
博士が終わったらポスドクになります.任期付きの職を数回経験します.何年続くかはわかりません.
任期なしの研究職に就くことができれば,研究者になれます.
数学科に進学する人は研究者志望が多いので,多くの人がこのルートを辿ろうとします.しかし,これは「生涯賃金の期待値を上げる」という意味ではかなり悪い良い選択です.
まず,修士・博士の期間はろくに収入がありません.給与をもらうどころか,学費を払わなければなりません.学振PD に通れば博士の期間にいくらか給与をもらえますが,手続きの面倒さに比してその額はあまり多くありません.
更に問題なのが不確定要素の多さです.博士号を取るまではまあ良いとしましょう.その後,ポスドクの期間がいつまで続くのか,任期なしの職にありつけるのか,保証してくれるものはありません.もし任期が切れて,新しいポストが見つからなったらいきなり無職になり,私企業で職を探さなければなりません.博士以降になると,アカデミア以外でその専門性を生かした職を見つけるのは難しいため,どう転んでもみじめな思いをすることになります.
つまり,上記の「研究者を目指すための道のり」を歩み始めた時点で,強制的に人生を博打にされます.これでは収入が増えないのは当然です.では,こんなもの目指さなければ良いじゃないかと思いますが,そう単純ではないようです.
アカデミア復帰の難しさ
たちが悪いことに,研究者という職業は上記の道のりを一度外れると,二度と目指すことができません.「ここで辞めたら,今までの苦労はなんだったんだ.頑張ろう」とついつい思ってしまいます.*1 しかしそれは大抵の場合非合理です.アカデミアに残らないのであれば,早く諦めれば諦めるほど傷は浅く済みます.
数学への無理解
産業社会において数学の認知度は低く,大いに誤解されています.研究者を本気で目指していた人にとっては,敵だらけのように感じられることがあります.「説明したらいい」と思うかもしれませんが,説明してわかってくれるような人ばかりではありません.わかってくれる人はむしろ少数……というか,見たことがありません.
私は昔,就活をしていたら「数学では,問題には必ず答えがあるが,実社会ではそうではない」とのたまう人事に出会ったことがあります.プロサッカー選手に「試合には勝つか負けるかしかないけど,実社会では勝ち負け以外もある」というのを想像すればわかりますが,失礼極まりない発言です.きっとこの人は試験が数学のすべてだと思っているのでしょう.当然その会社には応募しませんでした.
また,ある親戚に「数学は抽象的だから役に立たない」と言われたことがあります.事実かそうでないか以前に,失礼過ぎると思うのですが,平気で言ってくるということは私はナメられているのでしょう.「こいつは数学科に行くような世捨て人だから殴り返して来ないだろう」と思われているということなんでしょう.…あのときほど年収5000兆円稼ぎたいと思ったことはありません.
また,面接で「数学をやってきた人は,基礎を固めないと気が済まないからダメ」と理不尽なダメ出しを食らって落とされたこともあります.基礎を重視しないと公言する人が幅を利かせている会社なんて行きたくないので,むしろ落ちてよかったですが….
こういうことが,本当に頻繁にあるんですよ.疲れますし,こういう人に会った日は社会というものが嫌になります.
こうしたことの蓄積が「自分はアカデミア以外ではやっていけない」という感覚を呼び起こしてしまいます.その結果,上記の「研究者への道のり」に固執してしまい,就職が遅れてしまうことになります.
数学に関わることの難しさ
学生の間では「研究者を目指す道のり」を外れた人を,「負けた」「諦めた」として下に見る風潮が少しあります.なぜそういう風潮があるのかといえば,私企業の多くが業務において数学を必要としないからだと思います.
数学を必要としない職場というのは一見して楽で良いように思いますが,「数学を知らない人で構成されている職場」ということでもあります.「数学を知らない」とだけ聞くと別に問題はないようですが,要は上で挙げたような偏見の持ち主が同僚や上司に掃いて捨てるほどいる,ということです.毎日偏見に晒され続けながら働き,偏見を持っているやつに仕事を評価されるということです.
許せますか,そんなことが.自分が情熱を捧げ,今までの一生の大半を費やしてきたものが蔑ろにされて,無価値だと言われて,黙っていられるんですか.
「数学を使わない職」に就いた多くの人は,「それが社会だから」と諦めるのだと思います.学生から見てその姿があまりかっこよくないのは当然ですし,学生のうちにそんな悲しい諦観を持ってほしくないと私は思います.
しかし,その帰結として「研究者を目指す道のり」に固執してしまうということは残念ながらあるように思います.
社会への関心の薄さ
数学科の人間は数学ばかりをひたすら勉強する傾向にあります.私がいた数学科では休み中も本を持ち寄ってゼミをしておりました.それはただ単にまじめに勉強しているというだけのことで,「良いことだ」と言いたいところですが,数学という学問があまりに自己完結しすぎているため,社会に対する関心が希薄になってしまうように思います.
工学や物理,化学なら「こういう製品を作りたい」という発想も出そうですが,数学は関心が内部に閉じてしまいがちです.
Lean について
私は自分が就職するときに上記で語ってきたような困難に直面して,一時期かなりうんざりしていました.自分の後輩たちには同じ苦労をしてほしくありません.
そんな中で Lean 言語を知って,直接の解決にはならないまでも,ちょっと可能性を感じたところがあります.私が「Lean を数学科に広めたい」と言っているのには,「広まった暁には,数学科の就職事情がいくらか改善されているだろう」という期待があるわけです.
Lean が流行ることで,「研究者を目指す道のりの過酷さ」は何も変わらないかもしれませんが,「数学に関わることの難しさ」は変わります.既に Lean 中心の数学コミュニティが発生しており,そこに参加することで「数学に関わり続ける」ことが可能になっています.
また,楽観的過ぎるかもしれませんが Lean により新たな雇用が発生する可能性もあります.「形式証明を書く仕事」なんて楽しそうだと思いませんか?実は,アルバイトのような短期雇用であれば既に Lean での雇用は発生しているので,楽観的過ぎるということもないかもしれません.
「数学への無理解」を解消するのは無理でしょうが,Lean をきっかけに数学に触れる人が増える見込みはあって,それは喜ばしいことです.
Lean はプログラミング言語なので,Lean に触れることによりソフトウェア開発自体に興味を持つこともあると思います.また,興味を持たなかったとしても Lean を学ぶ過程で確実にソフトウェア開発の経験は積むことになります.それは「社会への関心の薄さ」の緩和につながるはずです.
夢のある話だと思いませんか.Lean はまだ実績は少ないですが,私はその夢に投資する価値はあると思っています.
当面の目標は本業と Lean の勉強の両立です.頑張ります.
*1:著者の知人にもそういう人がいます