お医者に診てもらいに,仕事を休んででかけました.
有給はとうに使い切ったので欠勤です.こないだも欠勤して病院に行ったので欠勤続き….
結果はまあいつも通りで,「薬出しとくから様子見よ,な?」でした.
病名もつかない.症状も収まらない.収まりがつかないまま増えていく薬と医療費.
「一人でも大丈夫!」と言って就職を機に都会で一人暮らしを始めたというのに,私は何をやってるんでしょうか.
とぼとぼ歩いていた帰り道,近道しようと地下道から百貨店に入ったところ,ふいに懐かしい感じのにおいがしました.
「懐かしい感じの」と書きましたが,それは不正確な描写です.
本当はなんの匂いかは嗅いだ瞬間にわかってました.
パンの匂いです.近くにパン屋があるんですね.
それも匿名的なパン屋ではなくて,DONQ(ドンク)です.私にはわかる.
DONQは,実家の近くの,といっても田舎なので1km程度離れたところにある,なじみのパン屋でした.
ポンデケージョがいちばん好きでしたね.タピオカ粉でつくるもちもちした触感のパンで,ふつうはチーズを入れるのですがDONQにはチーズを使わないポンデケージョが売ってたんです.ゴマが入ってて,小さなまるっこい玉の形に成形されたものが3~5個くらい袋に詰められて売ってるんです.
あそこのパンは私にとってごちそうでした.
私がまだ小さかったころ,いつも嫌なことがあるとオカンがそこでパンを買ってきてくれました.
部活の大会に行く前には毎年買ってもらってたっけ.大会に出るのは逃げ出したいほど嫌だったけど,それだけ楽しみだった.
大学受験のときにもオカンはDONQでパンを買ってきました.
もうこどもじゃないし,いまさらDONQはいいよ……と言いながらも持っていきました.袋を開けるとなじみ深い匂いが溢れ出して,言葉も通じない異国のように感じた受験会場が,少しだけ安全な場所に思えたのでした.
そのパン屋は,その店が入っていた百貨店ごとつぶれてしまって,いまはもうありません.
だからもう何年も嗅いでない匂いのはずなんですが,不思議なことに一瞬で思い出しました.
それがなんの匂いだったかも,そしてその匂いとともにある今までの記憶も.全部一気に.
とある有名な小説*1にマドレーヌの香りで過去の記憶が走馬灯のようによみがえるシーンがあるそうですが,あれは本当ですね.
私は確信をもって匂いのする方を振り返りました.
予想通り,目の前にDONQがありました.
まっさきに思ったのは「DONQだ!DONQがある!」という小学生みたいな感想でした.
しばらく呆然と棚にならぶパンや忙しく働く店員さんたちを眺めていました.なんだか信じられなくて.
トングを取ってパンを見て回りました.ポンデケージョはありませんでしたが,まぎれもなくDONQのラインナップでした.
「そうそう,このフランスパンはこの丸みなんだよね.ちょっと固くて,噛むとぐにぃってなるんだよね」みたいな細部の記憶が一度に大量にあふれてきて何も考えられなくなって,一時的に軽くおかしくなってたかもしれません.
おなかが痛いのも忘れてたくさんパンを買いました.
買い物袋は記憶にあるのと同じ,あのデザインでした.
それが何故だかすごくうれしかった.
帰り道,買い物袋から漏れてくる匂いをかいでいるだけで,私はしあわせでした.
*1:プルーストの「失われた時を求めて」