パンの木を植えて

主として数学の話をするブログ

関手を考えるありがたみ

\[ %%% 黒板太字 %%% \newcommand{\A}{\mathbb{A}} %アフィン空間 \newcommand{\C}{\mathbb{C}} %複素数 \newcommand{\F}{\mathbb{F}} %有限体 \newcommand{\N}{\mathbb{N}} %自然数 \newcommand{\Q}{\mathbb{Q}} %有理数 \newcommand{\R}{\mathbb{R}} %実数 \newcommand{\Z}{\mathbb{Z}} %整数 %%% 2項演算 %%% \newcommand{\f}[2]{ \frac{#1}{#2} } \]

圏論で関手(functor)という概念が出てきます.

いったい何のために関手を考えるのか.

関手を考えるとどういう嬉しさがあるのか.

そういう話をします.

\[ %%% 黒板太字 %%% \newcommand{\R}{\mathbb{R}} \newcommand{\C}{\mathbb{C}} \newcommand{\Q}{\mathbb{Q}} \newcommand{\Z}{\mathbb{Z}} \newcommand{\F}{\mathbb{F}} %%% 引数を取るもの %%% \newcommand{\f}[2]{ \frac{#1}{#2} } \newcommand{\coker}{\operatorname{coker}} \]

疑問

環論においては「同型なもの同士は取り替えても同型」というお話がありました.

たとえば環 $A$ と $B$ が同型であるならば,その上の多項式環 $A[x]$ と $B[x]$ も同型です.

この辺は等号($=$)に似ています.$A=B$ ならば,適当に写像 $f$ をかましても $f(A) = f(B)$ になりますよね.これは写像を定義するときに複数の値を持つことを排除しているからです.これとよく似たことが同型という2項関係についても成り立っているわけです.

ただ,同型($\cong$)は等号と全く同じように使えるわけではなくて,違うところもあります.

たとえば$R$を可換環として,$R$ 加群 $N \subseteq M$ に対して 加群 $M / N$ を対応させるようなもの $Q$ を考えましょう.つまり

\begin{align} Q(M, N) := M / N \end{align}

と定めるわけです.あまり一般的に考える必要はないので,$M = \Z$ として固定しておきましょう.

いま $2\Z$ と $3 \Z$ という2つの $\Z$ 加群を考えると,これはどちらも1階の自由加群なので同型です.つまり $\Z$ 加群として $2\Z \cong 3 \Z$ が成り立っています.

しかしながらこれに $Q(\Z, \cdot)$ をかました結果得られる $\Z / 2 \Z$ と $\Z / 3\Z$ は同型ではありません.そもそも元の数が違います.

どうしてこうなってしまったのでしょうか?

その完全な回答は後で与えますが,いま一言で言ってしまえば加群の圏において $Q(\Z, \cdot)$ が関手になっていないからです.

圏 $\mathcal{C}$ から $\mathcal D$ への関手 $F$ は,$c_1 \cong c_2$ であるならば必ず $Fc_1 \cong F c_2$ であるように定義されます.

集合は離散圏だったので,これは写像の概念の一般化になっているといえなくもありません.離散圏においては上記の条件は「$c_1 = c_2$ であるならば必ず $Fc_1 = F c_2$ 」という意味になり,写像の定義そのものになるからです.

定義

実際には,関手にはもう少し強い制約が課されます.具体的には,次のようにします.

圏 $\mathcal{C}$ から $\mathcal D$ への関手 $F$ とは,

  • $\mathcal C$ の対象 $A$ に対して $\mathcal D$ の対象 $F(A)$ を,

  • $\mathcal C$ の射 $\varphi : A \to B$ に対して$\mathcal D$ の射 $F \varphi : F(A) \to F(B)$ を割り当てるような対応付けであって,

次の2つの条件

(1) $F(id_A) = id_{F(A)}$

(2) $F(f \circ g) = Ff \circ Fg$

を満たすようなもののことです.

一言でいえば関手とは,圏の対象を,それが満たす図式ごと別の圏へ写すようなもののことです.

$F$ が関手になっていれば,同型なものは写した先でも同型なので,満たされてほしい条件が成り立ちます.

関手圏

さて,関手についても同型であるとかそうでないとかいう概念を定義したいですね.

同型を定義するには圏が必要です.このようにして関手の圏というアイデアに誘導されます.

圏 $\mathcal{C}$ から $\mathcal D$ への関手の圏 $\mathcal{D}^{\mathcal C}$ をどう定義するべきでしょうか.

対象はむろん関手ですね.では射は?

関手圏における射の定義は,関手 $F$ と $G$ がどういうときに同型であるとみなすか?という問題に深くかかわるので大事です.

ある射 $f : A \to B$ があったときに,同型なふたつの関手 $F$ と $G$ によって写された射 $Ff : FA \to FB$ と $Gf : GA \to GB$ はどういう関係を満たしていてほしいでしょうか.$FA \cong GA$ かつ $FB \cong GB$ であってほしいという要請は当然ですが,でもそれだけでいいでしょうか.

関手は対象を対応付けるだけでなく,射まで対応付けます.そこで2つの関手が等しいと言うときには,写された射同士もある意味等しくあってほしいですね.

そこで,関手 $F$ と $G$ の間の射 $\tau : F \to G$ (自然変換)のあの定義が自然に発想されます.任意の対象 $c$ について射 $\tau_c : Fc \to Gc$ があって,関手 $F$ と $G$ が引き起こす射と可換になるというあれです.

回答

最初の商加群の話に戻ります.

いまの例で加群 $M$ を $\Z / M$ に対応させる対応付け $Q(\Z, \cdot) $ は関手になっていなかったわけですが,それでは商加群をとるような操作は関手で表現できないのかというと,そうでもありません.

加群の圏における余核 $\coker$ を考えてみましょう.結論を先に言うと,これがその関手になっています.

と言っても,これは加群の圏における射 $f$ に対して加群 $\coker f$ を対応付けるので,加群の圏からの関手ではありえません.

「加群の準同型がなす圏」が必要なのですが,これは実は関手圏の一種です.加群の準同型とは,対象が2つしかない圏 $2$ から加群の圏への関手だと思えるからです.この圏を $\mathrm{Mod}^ 2$ と書きましょう.

そうすると,これは本当は証明が必要なことなのですが,余核 $\coker$ は自然な射の対応付けにより関手 $\mathrm{Mod}^ 2 \to \mathrm{Mod}$ だとみなせます.

最初の話に戻ると,$\Z$ 加群として $2 \Z \cong 3 \Z$ ではありましたが,準同型がなす圏 $\mathrm{Mod}^ 2$ において $2 \Z \to \Z$ と $3 \Z \to \Z$ は同型ではありませんでした.なぜなら,$3/2$ 倍写像のようなものは整数上では定義できないからです.だから $\coker( 2 \Z \to \Z )$ と $\coker (3 \Z \to \Z)$ は同型ではなかったわけです.

このように,たとえ加群の圏におけることにしか関心がなかったとしても,関手圏を考える必要性が出てきます.

関手圏を考えないままだと,「同型なものを取り換える」操作をいつ行ってよくて,いつ行ってはいけないのかということが不明瞭になってしまいます.

関手圏の応用例

同型なものをいつ取り替えて良いか?という問題が関手圏という言葉によって明瞭になる例をもう一つ挙げておきましょう.

$R$ を可換環とし,$I$ をそのイデアルとします.そして $M$ は $R$ 加群であるものとします.このとき $M/ IM \cong R/I \otimes M$ が成り立つのですが,これを証明してみます.

まず,テンソル積の右完全性を使いたいので左辺を余核で書き換えて

\begin{align} M/ IM = \coker ( IM \to M) \end{align}

とします.$IM$ というのは準同型 $I \otimes M \to M$ の像なので,

\begin{align} M/ IM = \coker ( I \otimes M \to M) \end{align}

と書いても同じことです.

ここで準同型 $I \otimes M \to M$ と $I \otimes M \to R \otimes M$ は準同型の圏 $\mathrm{Mod}^ 2$ において同型になっています.したがって余核の関手性より

\begin{align} M/ IM \cong \coker ( I \otimes M \to R \otimes M ) \end{align}

が成り立ちます.テンソル積の右完全性によって,テンソル積と余核は交換することができて,

\begin{align} M/ IM &\cong \coker ( I\to R ) \otimes M \\ &\cong R/I \otimes M \end{align}

と結論づけることができます.

証明終わり.

ここで関手圏 $\mathrm{Mod}^ 2$ という言葉と,余核がそこからの関手になっているという事実とを使わない場合,「$R \otimes M \cong M$ だから~」と言わないといけなくなります.「同型なもの同士取り替えてるだけだから,関手性によって同型!!」と言った方がわかりやすいですよね.

これが,関手というものを考えるひとつのありがたみです.今回は敢えて「不変量が得られること」や「Galois理論的な対応が得られること」といったよく聞く話ではなくて,地味な話を紹介してみました.