パンの木を植えて

主として数学の話をするブログ

集合でないものを略記として導入するなんてアリなのか

\[ %%% 黒板太字 %%% \newcommand{\A}{\mathbb{A}} %アフィン空間 \newcommand{\C}{\mathbb{C}} %複素数 \newcommand{\F}{\mathbb{F}} %有限体 \newcommand{\N}{\mathbb{N}} %自然数 \newcommand{\Q}{\mathbb{Q}} %有理数 \newcommand{\R}{\mathbb{R}} %実数 \newcommand{\Z}{\mathbb{Z}} %整数 %%% 2項演算 %%% \newcommand{\f}[2]{ \frac{#1}{#2} } \]
\[ %%% 黒板太字 %%% \newcommand{\R}{\mathbb{R}} \newcommand{\C}{\mathbb{C}} \newcommand{\Q}{\mathbb{Q}} \newcommand{\Z}{\mathbb{Z}} %%% 引数を取るもの %%% \newcommand{\f}[2]{ \frac{#1}{#2} } \]

日記です.

キューネンの1章8節まで読みました.

そもそも「集合でないものをどうして平気で扱うことができるのかわからない」という動機で読んでいた本ですが,本文中で順序数の全体 $ON$ が出てきました.$ON$ は大きすぎて集合にならないので,意味をなしていないようなのですが……本文を見るとこれは略記のためだと言い訳してあります.

たとえば $\alpha \in ON$ というのは「$\alpha$ は順序数である」ということを指す論理式の略記であると言っているわけです.なるほど?

しかし読み進めていくと,順序数についての算術のところで「$ON$ に順序位相を入れることができる」という話がちらっと出てきます.

え,位相入れるの?大丈夫なの,ほんとに位相なんて入れちゃって大丈夫なの?めちゃくちゃ不安になりました.この本は本当に私の疑問に答えてくれるんだろうか….

「略記だから大丈夫」という理屈はまあ,わかるような気はするんです.

集合を集めて,集合全体の集合 $U$ を構成しようとすると,$U$ 自身が集合なので $U \in U$ となるわけですが,これはよく考えるとおかしいんですよね.集合は中に何が入っているかで決定されるんですが,$U$ に何が入っているか調べようとすると $U$ 自身についての情報を要求されるので,$U$ の要素を決定することが原理的にできない.そんな集合は「そもそも定義がうまくいっていない」というのが,ラッセルのパラドックスの原因だったと思うんです.

だから $U$ が「集合ではない」としておけば大丈夫かな?という気になるわけです.$U$ は集合ではないので内包公理は使えず,したがってラッセルのパラドックスを生む集合も構成できない.万事オーケー.

$U$ は集合ではないとなると,ではなんやねんという話ですが,集合の公理をそのまま形式的に実体化させたものだと思えばいい…のかな.

でも集合の公理(ZFC)って,群の公理とかと違ってなんだかわかりづらいんですよね.ある対象 $U$ が与えられたときに,それが集合になっているかどうかを公理に照らしてチェックするのってできるんですかね.そもそも「ある対象 $U$」って何?っていう話ですよね.前提として「すべてのものは集合」というところから始まる公理なので(外延性の公理がそう主張している),集合かどうかをチェックするのに使うという発想が出てこない….あれ,私の言ってることおかしいですか,おかしいですね.もう何がなんだかわかんねぇな.

とりあえず現時点の疑問を言語化しておくと,こうです.

「公理的集合論の公理によって,集合であるか集合でないかが規定されている対象ってなに?」

たとえば群の公理だったら,集合 $G$ と2項演算 $\cdot : G \times G \to G$ の組 $(G, \cdot)$ が与えられてるとして,それが群になっているかどうかを規定しているわけですが,それに対応するものがどうなっているかという話です.「集合であるか集合でないかが規定されている対象」を明示しようとすると集合の言葉で書かざるをえなくなってしまうんですけど,それだと循環論法になる気がして,私は大変に混乱しています.

ちょっと疑問が明確になったかな……いや,まだ自分で何言ってるのかわかんねぇな.うー,明文化できないと人に相談もできないし…….

まだまだ苦しい日々が続きそうです.