latest update: 2022.06.12
2022.06.12 冗長な部分をカット
ティンバーゲンの4つの「なぜ」
動物行動学には ティンバーゲンの4つの「なぜ」 という言葉があります.
これは文字通り,動物の行動に対して「なぜ」と問うときに,「それが何を訊いている質問なのか」を4通りに分類したものです.
具体的に言うと,次の4つです.
発達.遺伝と後生的な発達が,どのように動物とその内部構造を組み立てていくかを解析する
メカニズム.神経と内分泌が,どのように生後の動物行動を制御しているかを解析する
進化史.変化を伴う継承.祖先種による影響の結果として原生種の行動形質を解析する
適応的機能.適応価.自然淘汰を受けた進化の結果として現在の行動形質を解析する
オールコック・ルーベンスタイン『動物行動学』 p.6
たぶんわかりにくいと思いますので,例を挙げてみます.
ディガービー(穴掘りバチ)と呼ばれる,砂漠に住むハチがいます.
ご存じないですか?私もいま知りました.とにかく,そういうハチがいるんです.
このハチのオスは砂漠に穴を掘るのでその名前があるのですが,なぜそんなことをするのでしょうか.
この問いを元に上に挙げた4つの「なぜ」を例示してみます.
まずは「適応的機能」です.
実は穴掘りバチは,幼虫のときには地下の巣穴の中で過ごします.これはオスもメスもそうです.したがって,オスが穴を掘るのは,地面に這い上がってくるメスの成虫と(ライバルよりも少しでも速く)出会うためだと考えられます.*1
この説明は,穴掘りという行動の適応的機能を説明するものになっています.
次に「メカニズム」です.
オスはどうやって地面の下に埋まっているメスを見つけるのでしょうか?あてずっぽうではなく,明らかにアタリをつけているようです.「もしかして,メスの匂いを基にして場所に見当をつけているのかもしれない」という仮説が立てられます.
この説明は,穴掘りを可能にしているメカニズムを説明するものになっています.
次に「発達」です.
発達という言葉は生物学になじみのない方にはわかりづらいと思いますが,卵→幼虫→蛹→成虫という個体の経過のことを指します.
いまオスがメスの匂いを嗅ぎ当てることができるかもしれないと言いましたが,もしそうであれば,このハチは卵,幼虫,蛹…という成長の途上でこの能力を発達させてきたはずです.どのようにして地中のメスを嗅ぎ当てる能力を発達させるのでしょうか?
このように問えば,これは穴掘り行動の発達レベルの原因について問うていることになります.
最後が「進化史」です.
多くの種で,ハチのオスは交尾可能なメスを花のまわりで見つけてから配偶行動をします.穴掘り行動はこのハチに固有のものなのでしょうか?進化史のいつの時点で,このハチの祖先は穴掘り行動を発達させたのでしょうか?それは砂漠の地面に営巣し始めた時点でしょうか.それとも他のきっかけで脚の力が発達し,それが穴掘りに転用されたのでしょうか?
このように問うならば,これは進化史レベルの原因について問うていることになります.
これがティンバーゲンの4つの「なぜ」の説明です.
ひとつ注意して欲しいのですが,「この4つの区別を間違いやすいから注意してね」という話ではありません.「この4つの要因をすべて考えないと,動物の行動を深く理解することはできない」という話です.
分類というよりチェックリストのようなものです.
数学における「わからない」
ちょっと前置きが長くなってしまいましたが,そろそろ数学の話をしましょう.
この記事で私が言いたいのは,数学における「わからない」も同様だということです.
つまり,動物行動学で「なぜ」という設問がかなり毛色の異なる複数の設問が絡み合ったものであるのと同様に,数学における「わからない」という疑問も複数の異なる性格を持った部分に分けることができ,各部分が相互に関連しているということです.
どういうことでしょうか.
数学において「わからない」となっているとき,実際に何がわかっていないのかを軽く分類して列挙してみます.
無意味な記号列のように感じる
用語の定義のイメージや非形式的な気持ちの部分がわかっていないパターンです.
高校数学で例を出しましょう.文章に出てくる「$f$ の導関数」という言葉がわからなくて,調べたとします.そしたら次のような文章が出てきました.
これを見て,この文章の意味がさっぱりわからず,ただの記号列のように見えている状態の「わからなさ」です.
原因は,そもそも定義自体をきちんと読んでいないか,あるいは典型的な具体例や直観的な解釈を把握していないことです.導関数の例に戻ると,
1変数実関数ならば,関数 $f$ のグラフの傾きが導関数の値に一致する
関数 $f$ のグラフが尖っているときには,$f$ はそこで微分可能でない
という幾何学的な解釈が頭に入っていれば,無味乾燥な記号の羅列には見えないはずです.たいていの場合,きちんと具体例やイメージ説明を書かない,その本に非があります.
話がどこに向かっているのかわからない
話の目的地がわからない状態.「用語を定義したのはいいけど,これ何がしたいの?」となって頭が疑問符で埋め尽くされている状態です.
高校数学で例を出すと,凸関数の定義を聞いて「なめらかな関数 $f$ が凸関数であるとは…ということである」という定義は理解できるけど,でもなんで凸関数なんて概念を定義したいのかわからない……という「わからなさ」です.
あるいは,「連続関数は有界閉区間 $[a,b]$ 上で最大値と最小値をとる」みたいな定理を読んで,「そんなの当たり前じゃないのか」と思ってしまっている状態です.わざわざ定理として立項して言及する意図がわからない,というような.
原因は,「その本を読むのに必要な予備知識が足りていないから」というのが多いです.
さっきの凸関数の例に戻ると,親切な本であれば
そもそも凸集合という概念もあって,凸性は集合(つまり図形)にも定義できる
Jensenの不等式というのが成立する.これを使うと算術幾何平均の関係式もみやすい
凸集合の上で凸関数を最小化する問題を考える,凸最適化という分野がある
という話をきちんと書いてくれているはずなんです.どうしてなのかわかりませんが,そういう背景を丁寧に書かない本が多いので,この手の「わからなさ」には結構遭遇します.
不自然にみえて納得がいかない
なにかの定義などで,なぜそう定義するのかわからない複雑なものが登場したり,あるいは証明中に説明なしにあたりまえでないものが登場したときの「わからなさ」です.
恣意的で人工的なものが急に登場したように見えて,戸惑ってる状態です.
あるいは,問題設定を聞いて「なぜそんな問題を特に考えたいのか」気になっている状態です.
あるいは,命題の証明を見て「どうしてこんな仮定が必要なんだろうか」と疑問に思っている状態です.もっと緩い仮定で成り立つのであれば,そのように書くのが自然ですからね.
高校数学で例を出すと,幾何の定理の証明を読んでいたらいきなり「~にこういう補助線を引けば……」とか書いてあって,なぜそういう補助線を思いつくのかがわからない,というような.
あるいは,積分の計算で,「この関数をこうおいて置換積分せよ」とか書いてあるけど,その置換の式をどうやって思いついたかわからない…とかですね.
こういうの,とりあえず証明追えば正しいことは確認できるけど納得はしないんですよね.
ひらめきで片づけずにまじめに説明しようとするととても長くなることがあるので,ある程度は仕方ないのかもしれません.
論理の飛躍がある
いわゆる「行間に躓いている」状態です.
証明などに論理の飛躍があって,著者のミスなのか,あるいは誤植なのか,それとも自分があほなだけなのかわからない状態です.
よくあるのが,幾何学的な直観によって明らかではあるが,形式的には証明が不十分であるというケースです.
高校数学で例を出すと,「したがって $x = 3^ {20}$ なので $x$ を $4$ で割った余りは $1$ である」などと書いてあるのを見て,「なんでそうなるんだろう?$x$ って結構大きい数だけど頑張って計算すればわかるかなぁ?」などと首をひねっている状態です.
原因は,単なる勘違いやど忘れが多いです.この「わからなさ」で躓いている場合はどこで躓いているか特定しやすいため,人に訊きやすいですね.
まとめと結論
以上,4つを列挙しました.再掲すると
無意味な記号列のように感じる
話がどこに向かっているのかわからない
不自然にみえて納得がいかない
論理の飛躍がある
ですね.
みやすくするために表にもまとめてみました.
「不自然に見えて納得がいかない」は「発想の経緯がわからない」と言い換えています.また「論理の飛躍がある」も「論理の妥当さがわからない」と言い換えています.「近い/遠い」という次元ですが,これは至近因/究極因に対応していて,より身近な言葉で表現したものです.
「話がどこに向かっているかわからない」は「動機となる問題がわからない」と言い換えました.ここで動機となる問題というのは,
その概念を用いずに表現できて,
十分興味深く,
その概念を用いないと解けないか,あるいはその概念を用いることで大幅に見通しが良くなる問題
のことを指しています.自然科学の理論が実験結果を説明しなくてはいけないのと同様に,数学の理論は問題を解くことができなくてはいけません.
数学が苦手なひとがよく言う「なんの役に立つかわからない」はたいていの場合,「動機となる問題がわからない」という意味なのではないかと私は思っています.産業的な応用が大事だと言いたいのではなくて,問題意識が大事だと言いたいんです.
さて,この話で何が言いたかったかといいますと,「数学わからん」の解像度を上げたかったんです.
数学の話を聞いたり読んだりしたとき誰にでも「わからないなあ」と思う瞬間があると思うんです.そのとき,この4つのわからなさのどれに近いのかが判れば,一歩前進になります.
何がわからないのかきちんと言語化できることは,理解の第一歩です.だいいち,何がわからないか説明できなければひとに訊くこともできませんので.
「数学なんにもわからん」から,「数学ここがわからない」に移行していきましょう.
*1:動物行動学あるある: オスがメスを探しまわりがち